常任幹事 井田ゆき子(20回生)

 函館西高20回生の私が、高校生活を送ったのは昭和424月~453月まで。当時は、社会人を中心にした安保条約反対闘争やベトナム戦争反対闘争、そして大学生の全共闘運動などが盛り上がっていた時代でした。函館の街頭でも時々、社会人や学生が参加して安保条約・ベトナム戦争反対デモが行なわれていました。高校入学と同時に新聞部に入部し、諸先輩の影響もあって、政治的関心が高かった私も、そんなデモにクラブの仲間や先輩たちと幾度か参加したことがあります。そこで出会うことが多かったのが函館ラ・サールの高校生でした。彼らはちょっと大人びていて、話し方も論理的で知的で、同級生よりかっこよく見えたものです。当時のことを思い出すと、浮かび上がってくる男子生徒の顔がいくつかあります。

 といっても、思い出すようになったのは最近のことで、60歳を過ぎたせい…、あるいは同窓会などに顔を出すようになったせい…、

でしょうか。その顔を今ではおぼろげにしか思い出せないものの、もう一度会ってみたい、どこにどうしているのだろう、などと思ったりしていました。しかし、高校卒業以来、一度も会ったことがなく、他校なので同窓会などの手がかりもありません。それにラ・サール生の出身地は、函館とは限らず、北海道各地から来ていました。

そこで、思いついたのが、在函館高校同窓会の交流会を通じて函館ラ・サール同窓会に出席してみることでした。

627()、東京・日本橋のロイヤルパークホテルにおいて函館ラ・サール学園同窓会が行なわれました。午後2時半から6時半まで4時間にも及ぶ盛大な会合です。1部が前年度の活動報告や今年度の活動方針などを決議する総会、次いで同窓生による講演会と学園理事長による記念講話で約2時間。私は2部の懇親会だけの出席でしたが、プログラムによると講演会は、原子力規制庁に勤務する同窓生の雨夜隆之氏が『FUKUSHIMAで蘇った言葉』と題した講演を行っています。

講演会が終了後、4時半から会場を移して懇親会がスタート。男子校なのに数人の女性の姿が見受けられます。在校生のPTA関東支部のお母さんたちでした。ご挨拶を交わしたお母さんの話では、息子さんは中学から函館ラ・サールに在籍しているそうです。わが西高の同窓会にPTAの父母が出席することなど考えられませんから、私学の場合は教育熱心な親が多いということでしょうか。

懇親会での理事長や副校長の話によれば、現在、ラ・サール学園では学生寮を完備し、全国から広く入学生を募集しているそうです。特に、関東地域は入学生も多く、PTAも熱心なのだそうです。少子化の時代を反映して、私学経営もなかなか大変なのでしょうね。

懇親会は、同窓生グリークラブによる合唱、恩師のご挨拶、お楽しみ抽選会、校歌の合唱と型通りに進行していき、回生ごとの記念撮影、最後に全員がひとつの輪になり、肩を組みながら校歌を歌って終了しました。回生ごとに丸テーブルを囲んでの立食スタイルで、かつての同級生や同期生らとの会話に熱中している様子は、どこの同窓会でも見られる普遍的な光景ですが、楽しかったのは出席者全員が肩を組んで歌ったこと。私の場合は、体格も違うので肩を組んでというより手をつないででしたが、同窓生という一体感が感じられてなかなかよかったですね。
 
さて、私がラ・サール学園同窓会に出席した目的が達成されたかどうか。残念ながら、この場でかつての友人と再会することはできませんでした。でも同期の卒業生を通じて、現住所を知ることができました。そのうち、連絡をとって何十年ぶりの再会の祝杯をあげたいと思っています。ラ・サール学園8期生の皆さん、大変お世話になりました。皆さんの今後のご活躍とご健康を心よりお祈りしています。
ラサール同窓会4 


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