竹澤 秀明(17回生)

令和2年(2020)121日~28日、念願のペトラ遺跡観光をしてきた。当然近隣の観光地を含めてである。ヨルダンにあるペトラ遺跡、三大宗教の聖地エルサレム、死海での浮遊体験等である。

出発は初めて利用するアエロフロート航空、モスクワ経由である。さすが社会主義国営であり、CA は日本や西欧諸国より親しみを感じない。機内食もイマイチ、ドリンクサービスも食事前に出たが食事中はなし。二回目の食事では無く、ツアー添乗員の忠告で前の食事の時多めに缶ビールを確保していたので事なきを得た。通常国際線の時は日本人か日本語のできるCAがいるが、良く聞き取れない日本語の機内案内であった。トランジットのモスクワでの税関検査も1人でいやいや仕事をしていた。国民性を改めて認識した。

いよいよイスラエル・テルアビブ着。早速観光の開始である。イエス・キリストの生誕地で母親マリアが受胎告知を受けた洞窟。イエスが水をワインに変えた「カナの婚礼」のカナ。そして伝道活動を始めるまで両親と過ごしたナザレ。イスラエル最大の湖ガリラヤ湖はイエスの弟子聖ペテロが、銀貨を加えた魚を釣ったと言われる幸運の魚「セント・ピーターズ・フィッシュ」を食した。そして3時間かけてヨルダン側の死海へ。途中中東戦争で激戦地だったゴラン高原を通ったが、ヨルダンに入ると近代的できれいなイスラエルに比べ、戦前の日本や中国の貧しい農村を見るようであった。

翌朝死海での浮遊体験。風が強く寒かったが湖はぬるま湯のように温かい。ここは海抜マイナス410m、塩分濃度が高く浮遊体験ができた。塩分が強く塩辛いを超えて苦い。ヨルダン川他からの流入が溜まり流れ出ないで蒸発して塩分が濃くなったものである。しかし沿岸の工業・農業等が取水しているため、水位が毎年30cmほど下がり、2050年には消滅が危惧されている。私も妻も浮いた。

会報24 中東写真

 ペトラに向かう途中マバダのギリシャ正教、聖ジョージ教会(パレスチナのモザイクが残る)そして十戒で有名なモーゼ終焉の地ネボ山。エジプト王の迫害から逃れて率いてきた民に「あれが約束の地カナンだ」と告げパレスチナへ行くことを促して息を引き取ったと言われている。ここからはヨルダン渓谷、死海、エリコそしてエルサレムまで見える絶景の地であった。ペトラへの途中ヨルダン唯一の世界遺産ウムニアルラサス(古代のモザイク画が残る)では、近くでテント生活のはだしの子供たちが「マニー、マニー」としつこく寄ってきた。何か悲しい気持ちになったが、添乗員からはお金をあげないよう一言あり。

会報24 中東ライトアップ (2)

 夜のペトラは、暗闇のなかを懐中電灯をつけて20分ほど歩き、遺跡のメイン「エル・ハズネ」前でたくさんの蝋燭とライトアップ、アラビア語による歌うような物語を楽しむ。

 初めて経験するアラビアンナイトであった。

会報24 中東2

翌日はあいにくの雨模様。入口よりシーク(岩の割れ目)から宝物殿を意味する「エル・ハズネ」を目指す。この道は映画「インデイー・ジョーンズ/最後の聖戦」の舞台である。やはり「百聞は一見に如かず」である。古代シルクロードと並んで中国、インド、エジプト、シリア、ギリシャ、ローマを結ぶ絹や香辛料等の貿易の中継地として栄えたナバタイ人の古代都市である。岩場を最大限利用し用水路・噴水・プールまであった。ローマ帝国様式も多く残る遺跡である。あいにく雨が午後には強くなり鉄砲水の恐れがあると警報が出て、急ぎ退避となったのが残念。しかし数年前「鉄砲水」で被害が出ていた。退避は近くに駐車していたトラックと交渉し、我々を含め周りの人たちを荷台に乗れるだけ乗せて、猛スピードで逃げた。一人1ドルである。後で聞いたがやはり「鉄砲水」のため入場中止になったとの事。25年前エジプトで一週間前にイギリス人ツアーが強盗に会ったため、武装警官の護衛付きで観光したこと、オーストラリアでの車上荒らし等を思い出し、滅多に経験できないことを経験できた。これからも有るだろう。

翌日エルサレムへ行くには、安息日当日のため11時までに国境検問を通過しなければいけないため、朝5時ホテル出発である。前日の雨が夜には雪となっていた。時速50㎞制限の山道を20㎞でソロソロと走行。こちらはスタッドレスタイヤとかチェーンの感覚はないとの事。案の定、途中畑に落ちている車あり、パトカーが来ていた。眠気も覚めるドライブであった。

イスラエル入国である。ここまでのヨルダン人ガイド・ドライバーとお別れとなったが、別れ際、添乗員とドライバーがもめていた。賃金の上乗せを要求していた。添乗員は契約書を提示し断固拒否。さすがベテランの男性添乗員であった。 しかしイスラエル入国時にスーツケースを流すところでは時間が掛かり、催促するとお金を要求。この時、添乗員は握らせた。「臨機応変・郷に入っては郷に従え」である。イエス・キリスト生誕のベツレヘムへの途中、海抜ゼロポイントで写真タイム。山の上なのに海抜ゼロは、にわかには信じがたい。

ベツレヘムへ向かう途中世界最古の街と言われるエリコ観光。そしてベツレヘム「聖誕教会」はパレスチナ自治区にあり、教会地下にイエスが生まれたとされる洞窟がある。狭いので世界中の信者が来ており、ごった返しの中の観光であった。

 観光旅行も最終日となり三大宗教のエルサレムの観光である。旧市街の神殿の丘、イスラム教のムハンマドが昇天したという岩の上に立つ黄金色の丸屋根と八面体の大理石とトルコ石が印象的な「岩のドーム」。色鮮やかな建物を見ながらガイドの説明を聞いているとガードマンらしき男が近寄り説明は手短にと注意、横で説明を聞いていた妻が持っていた紙(地図)を取り上げ、見ていたがしばらくして返してくれた。ガイドに聞くとイスラム教以外の説明はしないように、イスラム教以外の文章やパンフはご法度とのこと。また出入口にはマシンガンを持った兵士がチェックしていた。しかし出口にいた可愛い女性兵士に「可愛いね。写真撮ってもいいですか」というとニッコリ笑い、リップクリームを塗ってポーズをとってくれた。若者は世界共通である。会報24 嘆きの壁

さて壁の反対側はユダヤ教にとって最も神聖な「嘆きの壁」である。テレビでよく見る光景である。我々も入口に置いてあるキッパという男子用の小さな帽子をかぶれば自由に入れる。早速かぶり壁に触り、世界平和を祈ってきた。妻はスカーフをかぶり祈ったとの事。もちろん男女別の場所である。近くの広場では小さな子供たちに説教をし、いい意味で洗脳していた。黒服、帽子、長く伸ばしたおさげ髪風の独特ないでたちのユダヤ教徒は、働くことはなく祈りの毎日との事。驚くことに信者年金があり暮して行けるらしい。

さていよいよ最後の目玉イエスの道「ビアドロローサ」である。イエス・キリスト終焉地、ゴルゴダの丘までの1kmの「悲しみの道」を歩くことになった。何度も見た「ベンハー」の場面を思いながら歩いた。ローマ帝国のエルサレム総督ピラトは、イエスを生かして追放処分を画策したが、住民の強い希望により磔付けで処刑をせざるを得なくなり、官邸の鞭打ち場所からイエスがつまずいた場所・シモンがイエスに代わり十字架を背負った場所・二度目につまずいた場所など14か所のチェックポイントを通り、イエスの墓所「聖墳墓教会」に到着。映画と違い通りは商店で賑やかであったが、約2000年前の階段を歩いたことは忘れられないだろう。「聖墳墓教会」でも世界からの信者は、棺らしき石棺に祈りキスをしていた。これまで訪れた教会では信者がミサを行い、聖歌を歌っていた。

 昼食は中東戦争の火種パレスチナである、イスラエルのヨルダン川西岸地区内のレストランで食べた。約700㎞の壁でイスラエルと区分けされ、門からの出入りは兵士による厳しい検問があり、その様子を撮影しようとしたツアー客は厳しく注意された。中はいたって平静に感じられた。しかしコロナ感染症のためパレスチナで日本人が暴行を受けたことを見ると、日本国内以外は怖い。

 最後にエルサレムの旧市街を一望できるオリーブ山、ダビンチの「最後の晩餐」で有名な部屋を観光。ガイドによるとイエスの時代、絵のようなテーブルで食事をすることはなかった。ダビンチの創作である。

 最後に現地ガイドは日本人のクリスチャンで宗教的案内が長く、いろいろ貴重な話が聞けて良い旅行であった。その中でカトリック教は「父と子と聖霊の御名によって、アーメン」と言い、プロテスタントは「イエス・キリストの御名のよって、アーメン」と言って十字を切る。違いは旧約聖書と新約聖書に由来する。貴重な中東の旅であった。

 最後に新型コロナ感染症を微妙なタイミングでクリアーして旅行できたことは、すべての神に感謝したい。