函館西高つゝじヶ丘同窓会東京支部ブログ

つゝじヶ丘同窓会東京支部「事務局トピックス」「会員だより」

会員だより

同窓生おばさん珍道中PARTⅡ(イタリア編)

                        大熊(旧性、五十嵐)信子(27回生)

数年前のスイスの旅で、シャモニーからツエルマット間の鉄道の途中で、そこがイタリアとの国境に近いことがわかり、乗り換えて、ドモドッゾーラと言う町に寄り道したことがあった。ピザを食べるために。それまでの雪山の町とは違い、駅舎を出たとたんに日差しの優しく陽気な空気に思わず両手を広げた解放感と、飛び込んだピザ屋のシンプルな味、それが忘れられなく、今度はイタリアの旅に好子を誘った。

今回も準備不足。仕事を持つ主婦が10日も旅に出るとは、家族の食事を義母に任せるにしても、休暇をとるための仕事の準備に追われ、旅の計画の時間はない。とにかく日本を脱出できればよい。最低限、教員の好子が休暇願に記入するための、インチキルートが決まっていればよい。ローマ、ナポリ、アルベロベッロ、シチリア、フィレツエ、ベニスを回るための交通と名所を、当時バックパッカーのバイブルと言われた、「地球の旅」に付箋をつけて、成田空港で合流。あとは飛行機の中で作戦会議。そして二人とも爆睡。今回も出たとこ勝負の珍道中になりそう。

2004730日。ローマ到着、市内に出、初日の一泊だけ予約をしておいたホテル見つける。午後8時真っ暗。ザックを下ろすやいなや、夕食に出る。嗅覚がすごいのか、歩けばピザ屋なのかは知らないが、気づけばウエイトレスが運んでいる緑の山にくぎ付け。何、あれ?ルッコラだわ!それ!。それまで日本では、生の緑の野菜がピザに乗っているのは、見たこともなかった。うまい旨い。お陰で旅の土産の一つはルッコラの種になった。

731日、翌日は世界一小さくて大きい国、バチカン市国へ。参道のような緩やかな坂を上ったその先の湾曲した建物の、スイス人と決まっていると言われる、ハンサムな守衛をチェックして、建物の頂上から見下ろすその風景は、映画のローマの休日のイントロシーンそのもの。

8月1日ローマテルミナ駅、スペイン広場、トレビの泉で投げ銭。コロッセヲで猛獣と闘士の残酷さを想像し、気分が悪くなる。真実の口に手を取られなかったことに安心。市内一日観光は教員の好子のガイドブックの読解力に助けられ、迷わずに済む。

2日、飛行機でシチリアのカターニアに移動。バスが不安になる位やって来ない。脇の女の子にタクシーで相乗りを誘うが、大丈夫、絶対に来るから、と提案に乗ってくれない。通じなかったのかも知れない。果たして田舎のバスはやってき、タオルミナのバス停に到着。公衆電話でホテルの空きを聞き、憧れのラ、グランブルー到着。シチリア料理を堪能し、暗闇のプールではしゃぐ、、、、、「失礼。おふたり。どうぞお静かに。」ホテルのプールで好子の犬かきは似合わないなあ、、と泳げない私はプルサイドにへばりつくだけ(汗)。

翌日3日、エレベーターで地下へ、空いたドアの正面は、映画ブランブルーでジャックマイヨールがイルカと戯れていた海。洞窟を抜けるとそこは、断崖絶壁のリゾート。さんさんと光輝く中で、北欧人らしき女性達が何もつけずに日光浴。トドの群れに目のやり場なし。バスでパレルモに向かう。ギラギラした日光と続くむき出しの土山。途中で食べた頭がキンキンになるくらいの、混じりっ気なしのレモンソルベに、一番のシチリアを感じる。夕食のレストラン、店内にオマールエビ、イカ、ひらめ、ムール貝など海産物が並べられ、山高帽のシェフが薦める魚を堪能。そこへ、杖を突いた老人が入店、すかさず椅子がひかれ、日常の挨拶と、夕食のオーダー。毎日のようにこんなレストランで夕食が取れたら幸せだなあ、、、と憧れる。鉄道でメッシーナ海峡を越え、夜、ナポリ到着。岸壁近くのレストランで席がないほど、ナポリの夜を楽しんでいる人を尻目に、ちょっと下がった場末のピザ屋で、魚の煮つけを食べ、薄暗いホテルに。

84日、ポンペイの遺跡観光。シチリアに行って、エトナ山を見なかったのは残念。灰に埋まっていたという、邸宅の「猛犬注意」のサインが、確かに人が文化高く暮らしていたことを実感させられた。

5日早朝、バスでバーリ、列車でアルベロベッロへ向かう。バスターミナルの雑多な人種に、昔の北京か上野駅の哀愁を感じる。朝食は小さな店の、スパゲティーをボール型に丸め、パン粉をつけて揚げたスナックに感動!日本だったら、ライスボールフライ。残り物のスパゲティを再利用したマンマの味の商品化バージョンか。車窓のオリーブ林は、イタリア人の健康の元と樹形の色っぽさを感じる。そして、列車は白い石を三角に積み上げたテユルリという家の集落に突っ込む。ホテルもレストランもとても小さく物欲に毒されていなかった生活のほのぼのさを感じた。若かったら、、新婚旅行はアルベロベッロだったのに。

6日、おとぎの町をもう一度散策して、夜行列車でフィレンツエへ。ようこそフローラル地方へと丁寧に町を説明してくれた、受付のお兄さんに、荷物を預け、シャワーを浴びて、さっそく丘の上へ。町を飲み込んでいるかの様に見える、ドウモオの大きさに圧倒される。

7日フィレンツエ、もう一日観光。大好きなアマガエル色の革ジャンを購入。革職人の町。ドウモオの裏のアイスクリーム屋のソルベが気に入り二日通う。グラニテ、ソルベ、アイスクリームどれもがフルーツのたっぷり使われた、自然の味。

8日ベネチア。迷路のような街にお決まりのうろうろ。間違ったって運河を渡れない。それが楽しい。ムラーノ島に渡りコーヒーカップセットを買う。知人は顧客サイン帳とやらにサインを求められたそう。私は当然、なし。ゴンドラは二人で乗るのは色気に足りず、、母娘連れに声をかけ相乗りをさせてもらう。若かったら。新婚旅行だったら。。。なーんて。好子で十分ですよ。お陰で今回も楽しかった。珍のレベルは同じが良い。互いを許せる。

ミラノから成田空港へ。好子、函館、札幌経由で今金へ、私、千葉東京経由で埼玉へ。日本の方が広く感じる。今回も有難う。

 イタリア  真実の口イタリア  シチリアのお菓子

同窓生おばさん珍道中 PARTⅠ(スイス編)

                                    泉谷 好子(27回生)

 コロナですっかり旅行にいけなくなった今、同じ思いをしている皆様に私たちの珍道中を読んでもらって、コロナ終焉後は旅行に行くぞ!という希望につながればという思いでペンを取りました。2人で約 30 年かけて27カ国旅をした中の極初期のものです。

1997731日。ノンちゃん、好子39歳にして初めて憧れのヨーロッパの地に立つ。しかし、チューリッヒの空港には大きな垂れ幕が、日本語で、驚きました。垂れ幕には何と書いてあったでしょうか。 次の三つから選んでください。①ようこそスイスへ❣。②お疲れ様です❣。③スリに注意❣。※答えは、最後に。

取り敢えず、好子より英語が出来るノンちゃんが、コーヒーショップのお姉さんにインターラーケンまでの行き方と鉄道の時刻ボードの見方を聞いて、日本で買った5万円で何処にでもグリーン車で行けるチケットで列車に乗りこむが車内放送が無いので眠っては居られない。しかも駅名はドイツ語!Wengen から登山列車でアイガー北壁・ユングフラウヨッホ3571mまで一気に行く。アイガーの山腹をどっかーんとくりぬいた登山列車。さすが観光のメッカ。ユングフラウヨッホは、曇っていて見えなかったが、景色を見るためにあちこち歩き回ったら、ゼイゼイして来て、一気に3000mは、やはり無理があった。戻ってきて、今度は、英語がほとんど分からない好子が動物的臭覚でホテルとレストランを決める。いつも忙しい二人は往復の航空券だけを買って、ホテルは町に着いてから決めるという方式をとっていたが、シーズン中にも関わらずほとんど意外と空いていた。スイス最初のdinnerはもちろん、チーズフォンデュ。塩辛いのでどうしてかと聞くとチーズ自体が塩辛いからこういうもんだと言う。二人は納得出来ずグリエール行きを決める。もちろん行き先も変更ありは、いつものこと。

8月1日。Thunに行き、Bernで登山靴を買おうとするがスイスの建国記念日で全ての商店が閉まっている。首都でこういうことができることに驚いた。アインシュタインが住んでいた家にも行ってみた。ランチにビールを飲み、水を注文するも、ウオーターが通じなく、ワラも通じなく、とうとう飲み干したビールのコップを指さすと二杯目のビールが来た。当然だが、日本なら席に座れば水が出て来るのにとぼやく好子。水も注文出来ない。

82日。Wengen に戻りMurrenに行き、Shilthorn2970mに行き、「女王陛下の007」の舞台になった回転展望台に行くがまた霧。床は太陽電池で動く。インターラーケンからモントールは、paroram:c Expressde で行く風光明媚な列車の旅、しかも前日予約で1等車の1番前、それなのにそれなのに、好子は”ずーっと”ずーっと寝ていた”

 83日。とうとうGreyerに行く。駅でホテルの場所を聞いて、かなり歩いて行くが、ここはホテルでないと言われ、またそこでホテルの場所を聞いてかなり歩いて行くと小さな森にぶつかり、二人ともかなり疲れていて、ノンちゃんは迂回して安全な道を行こうというが、好子は何が出てくるか分からないけど近道の森を突っ切って行こうと主張する。ここでかなり険悪な雰囲気になるが大人のノンちゃんが折れて、森に入っていった。しばらく両側高い木に覆われた坂道を行くと、何と❣何と❣中世のヨーロッパに紛れ込んだかと錯覚するような小さなお城グリエール城の街が出てきたのです。無言で歩いていた二人であったがたちまち大喜びで、さっそくラクレット、チーズフォンデュを食べるがもちろん最高!白ワインを頼もうとするが分からず、ノンちゃんが思い出したのは、村上春樹がスペインで白ワインをたらふく飲むシーンでブランコと言っていたから"B”のつくのを選ぶと大正解! ちなみにモンブランのモンは山(M)でブランは白い(B)。水も頼めない好子が、この後24カ国も訪問できたのはすべてノンちゃんのお陰。すっかりグリエールを気にいった好子は、将来旦那様を連れて来ると決意するも今だに夢はかなっていない。

84日。フランス・シャモニーでは、オイルフォンデュを食べるがちょっとしつこい。フライドポテトの量は半端じゃない。サーモンとニシンのオイル漬けのサラダは美味。相変わらずガイドブックは使わず好子の動物的臭覚で決めるレストランは大成功。次の日、AIGUILLE DU MIDI3842mに登り、雪で真っ白いモンブランを向かい側から見る。もちろんロープウエイで一気に登るのでハイヒールで4800mを眺められるのはさすがスイス。少し離れたところに目の見えない方がいた。素晴らしい景色が見えないのに来る意味がないのでは?と思ったが、何とその方は、大きく息を吸って約4000メートルの大気を感じ取っていたのです。こういう旅の楽しみ方もあるのだと感心するばかり。ここの山小屋のレストランで食べたプレーンオムレツは超最高に美味しかった。午後はモンブランをずーっと眺めながら反対の山をハイキング。そして、途中でパラグライダーに挑戦するとノンちゃんが言う。好子は怖いので止めようとかなり抵抗するが、ノンちゃん曰く、「じゃ、好子ここで待ってて。私行ってくるから」と言われ、待っているのは嫌なので乗ることにした。インストラクターが後ろに乗るからといえ、人生初、2000mから落下して2500mくらいまで上昇したのち、約25分で地上へ。途中グルグル回るので、怖い好子だが、とっさにストップが思い出せず、スロースローを繰り返すが、インストラクターはイーズイイーズイと言って止めない。死ぬかと思った。景色どころではないのですが、さっきまではテクテク歩いていたのに上から眺めるなんて凄いと思ったけど長かった❣ 長かった❣ヨー。

86日。ツェルマットはこの頃すでにガソリン車の乗り入れを規制していた。活躍するのは小さい電気自動車。初めて見る電気自動車だがあまりにも静かで、ひかれそうになる。ケーブルカーで一気にKLEIN MATTERHORUN3820mに行く。ヨーロッパ一高いところにあるトイレはお一人様ずつパッキングするので、し終わるとビニール袋ごと、ずずずーっと落ちていく。そして、とうとう憧れのMATTERHORUN4478mの肩にあるヘンリーヒュッテまで歩いて行く。途中sunegaからのMATTERHORUNの姿が最も美しかった。次に氷河特急でburi-kuに行き,シンプロントンネルを超えてイタリア・domodozzo-raへ行く。二人はランチを食べに行っただけであるが、さすがにここには日本人はいないだろうと思っていたら何と居た❣。戻ってきてannderumattoで泊まる。そこのレストランで魚が食べたくて、スイスの沼にしか生息しないという魚のムニエルを食べるが、なんという名前かと書いてほしいとウエイトレスに頼むと”ウグイの類”と書いてきた。なんと日本人シェフだった。

89日。リヒテンシュタインに行く。切手と観光が財源の世田谷区2つ分の小さな美しい国。24時間営業のチェンジマネーマシーンは便利だった。夕方、Rucherunnに着く。今まで山ばかり歩いていたから、人、人、人、に驚く。なぜかホテルはどこも混んでいて、こういう時は予約していくべきだったと後悔するのですが、ようやくようやく1部屋見つける。夕食のため外へ出て歩いて居るといきなり、ドドドッカーン❣。何と花火❣。日本と違ってバックミュージックがあって、一つ終わるごとに拍手! 後で知ったのだが8月9日は一年に一回の花火大会!ホテルもレストランも見つからなくて大変困ったが一年に一回の花火大会に遭遇できるなんてラッキーなのかと喜ぶ二人。

810Rucherunnでは、カペル橋を見たり、ムーセック城を見たりするが、スイス最後のホテルは、好子の動物的臭覚で決めたHotel Des Alpes ここも良かった。そして、最後の夜を飾る夕食は探し歩いて偶然にも見つけたフォンディユシノワーズ(肉しゃぶ)!

初めてのヨーロッパ旅行を無事、大満足で終わる二人でした。

       ※答え ③スリに注意❣。

 スイス  レマン湖

新たな代表作として期待―「柳橋ものがたり⑥」を読んで

佐々木太郎(14回生)   

「柳橋ものがたり」のシリーズは、すでに二見時代小説文庫で5冊出版されていて、すべて読んでいる。この第6巻は今年発行され、いつものようにアマゾンで買おうと思っていたら、3月に行われたつゝじヶ丘同窓会東京支部の事務局会議のおりに、感想文を書いて会報に載せるという条件で、広報担当の井田ゆき子さん(20回生)から貰ったものである。彼女は森真沙子(11回生)のファンクラブを立ち上げ、ボランティアでホームページの制作、管理をしている。

 船宿「篠屋」の女中である主人公の綾が、船宿で偶然出会った事件に巻き込まれて、あるいは積極的に関与して活躍する物語で、各巻とも5話の連作であるが、この第6巻では少し違った展開もあった。

1話「冬の朝顔」は、主人公の綾が船宿に勤める前に綾の父の友人の診療所に勤めていたときの話であり、朝顔を育てている御家人と知り合うが、話の中で綾自身の過去も語られる。「柳橋ものがたり」は綾が船宿に就職するところから始まったので、これは将来の話の伏線になっているかもしれないと思って読んだ。ただ、新しい人の名前が沢山出てくるのと時系列がやや分かりにくく、2度読みしなければならなかったが。また第5話「篤姫様お成り」では、綾が生き別れになっている兄の消息を求めて天璋院篤姫に会う寸前まで話が進む。

この本のサブタイトルにもなっている第4話「しぐれ迷い橋」は、江戸一番の大人気の噺家三遊亭圓朝がかかえる悩みと粋人の幕臣成島柳北がからむエピソードで、これなどはまさに「家政婦は見た」の時代小説版的なつくりである。

各話完結しつつも、主人公の過去が少しずつ明らかになり、今後の展開の可能性を残す手法と、篤姫や山岡鉄太郎、榎本武揚など実在の人物がからんで展開するストーリーの進め方は、幕末、慶應年間という激動の時代の歴史小説的趣と、季節感にあふれる江戸情緒で読む者を飽きさせない。このままシリーズが続くと日本橋物語(10)を超えて彼女の代表作になるかもしれない予感と期待を持たせる。

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佐藤泰志原作の映画化5作目「草の響き」が 函館で撮影、来秋公開されます

井田ゆき子(20回生)

西高18回生の作家、佐藤泰志が亡くなって、今年で30年になる。1010日の命日に、5作目となる「草の響き」の映画化が発表された。これまでの4作と同様に函館で撮影し、2021年秋の公開予定だという。「草の響き」は1979年発表の初期の作品。精神科に通院し、治療のためにランニングを日課とする主人公は、同様の経験があった佐藤泰志自身で、主人公が道で出会った若者「ノッポ」と心を通わせる姿を描く。

企画・製作・プロデュースを務めるのは、過去4作を手掛けた函館市民映画館シネマアイリスの代表、菅原和博さん。「佐藤泰志の没後30年と映画化第1作『海炭市叙景』から10年となる今年、映画を作ろうと考えていた」という。1月には監督のオファーや脚本の準備を進めていたが、新型コロナウイルスの流行は映画界も直撃した。

「コロナ禍で映画館の経営は厳しいし、人々の暮らしも暗転した。こんな時代に映画を作ることの意味を考えていた。いくら考えても答えは出ない。おとなしく家に引きこもり続けるべきなのだろうか。

 そんな中、多くの人たちが映画館を支援してくれた。映画ファンのためにもできることは映画を作ることだと思うようになった。映画を必要としている人たちがいる。佐藤泰志の文学を大切に思っている人たちがいる。私も『草の響き』の主人公のように走りだそうと思う」

メガホンをとるのは「フレンチドレッシング」「なにもこわいことはない」の斎藤久志監督。「ただ走っているだけの作品で、小説ならこれでいいですが、映画は客観的に立体化しなければいけないので、それをどうするか。菅原さんに『アメリカンニューシネマにならないか』といわれたので、なるほどねと思いました。僕はニューシネマではないけれど『長距離ランナーの孤独』という映画を思い浮かべました」

この原稿を書いている私は佐藤泰志の2級下で高校時代からつきあいがあり、泰志さんから「長距離走者の孤独」という小説を読むようにすすめられたことがあった。「草の響き」はこの作品が念頭にあって書かれたような気がする。初の芥川賞候補となった「きみの鳥はうたえる」(河出文庫)に収録されている60ページくらいの短編なので、未読の人にはぜひ拝読を勧めたい。来年の公開が楽しみだ。

 

※下記のアドレスは、NHK札幌放送局制作「没後30年 佐藤泰志の魅力」として放送されたニュース番組。Ctrlキーを押しながらクリックすれば閲覧できます。

https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20201116/7000026874.html

 高校時代の級友たちと一緒に。佐藤泰志さん(左端)

写真提供/折田信一(2枚とも)

佐藤泰志①













海上保安庁勤務の高校時代の友人に招待されて、巡視船「宗谷」の観閲式に出席した時の佐藤泰志(二列目右端)

佐藤泰志

ペトラ遺跡、エルサレム~中東の旅

竹澤 秀明(17回生)

令和2年(2020)121日~28日、念願のペトラ遺跡観光をしてきた。当然近隣の観光地を含めてである。ヨルダンにあるペトラ遺跡、三大宗教の聖地エルサレム、死海での浮遊体験等である。

出発は初めて利用するアエロフロート航空、モスクワ経由である。さすが社会主義国営であり、CA は日本や西欧諸国より親しみを感じない。機内食もイマイチ、ドリンクサービスも食事前に出たが食事中はなし。二回目の食事では無く、ツアー添乗員の忠告で前の食事の時多めに缶ビールを確保していたので事なきを得た。通常国際線の時は日本人か日本語のできるCAがいるが、良く聞き取れない日本語の機内案内であった。トランジットのモスクワでの税関検査も1人でいやいや仕事をしていた。国民性を改めて認識した。

いよいよイスラエル・テルアビブ着。早速観光の開始である。イエス・キリストの生誕地で母親マリアが受胎告知を受けた洞窟。イエスが水をワインに変えた「カナの婚礼」のカナ。そして伝道活動を始めるまで両親と過ごしたナザレ。イスラエル最大の湖ガリラヤ湖はイエスの弟子聖ペテロが、銀貨を咥えた魚を釣ったと言われる幸運の魚「セント・ピーターズ・フィッシュ」を食した。そして3時間かけてヨルダン側の死海へ。途中中東戦争で激戦地だったゴラン高原を通ったが、ヨルダンに入ると近代的できれいなイスラエルに比べ、戦前の日本や中国の貧しい農村を見るようであった。

翌朝死海での浮遊体験。風が強く寒かったが湖はぬるま湯のように温かい。ここは海抜マイナス410m、塩分濃度が高く浮遊体験ができた。塩分が強く塩辛いを超えて苦い。ヨルダン川他からの流入が溜まり流れ出ないで蒸発して塩分が濃くなったものである。しかし沿岸の工業・農業等が取水しているため、水位が毎年30cmほど下がり、2050年には消滅が危惧されている。私も妻も浮いた。

会報24 中東写真

 ペトラに向かう途中マバダのギリシャ正教、聖ジョージ教会(パレスチナのモザイクが残る)そして十戒で有名なモーゼ終焉の地ネボ山。エジプト王の迫害から逃れて率いてきた民に「あれが約束の地カナンだ」と告げパレスチナへ行くことを促して息を引き取ったと言われている。ここからはヨルダン渓谷、死海、エリコそしてエルサレムまで見える絶景の地であった。ペトラへの途中ヨルダン唯一の世界遺産ウムニアルラサス(古代のモザイク画が残る)では、近くでテント生活のはだしの子供たちが「マニー、マニー」としつこく寄ってきた。何か悲しい気持ちになったが、添乗員からはお金をあげないよう一言あり。

会報24 中東ライトアップ (2)

 夜のペトラは、暗闇のなかを懐中電灯をつけて20分ほど歩き、遺跡のメイン「エル・ハズネ」前でたくさんの蝋燭とライトアップ、アラビア語による歌うような物語を楽しむ。

 初めて経験するアラビアンナイトであった。

会報24 中東2

翌日はあいにくの雨模様。入口よりシーク(岩の割れ目)から宝物殿を意味する「エル・ハズネ」を目指す。この道は映画「インデイー・ジョーンズ/最後の聖戦」の舞台である。やはり「百聞は一見に如かず」である。古代シルクロードと並んで中国、インド、エジプト、シリア、ギリシャ、ローマを結ぶ絹や香辛料等の貿易の中継地として栄えたナバタイ人の古代都市である。岩場を最大限利用し用水路・噴水・プールまであった。ローマ帝国様式も多く残る遺跡である。あいにく雨が午後には強くなり鉄砲水の恐れがあると警報が出て、急ぎ退避となったのが残念。しかし数年前「鉄砲水」で被害が出ていた。退避は近くに駐車していたトラックと交渉し、我々を含め周りの人たちを荷台に乗れるだけ乗せて、猛スピードで逃げた。一人1ドルである。後で聞いたがやはり「鉄砲水」のため入場中止になったとの事。25年前エジプトで一週間前にイギリス人ツアーが強盗に会ったため、武装警官の護衛付きで観光したこと、オーストラリアでの車上荒らし等を思い出し、滅多に経験できないことを経験できた。これからも有るだろう。

翌日エルサレムへ行くには、安息日当日のため11時までに国境検問を通過しなければいけないため、朝5時ホテル出発である。前日の雨が夜には雪となっていた。時速50㎞制限の山道を20㎞でソロソロと走行。こちらはスタッドレスタイヤとかチェーンの感覚はないとの事。案の定、途中畑に落ちている車あり、パトカーが来ていた。眠気も覚めるドライブであった。

イスラエル入国である。ここまでのヨルダン人ガイド・ドライバーとお別れとなったが、別れ際、添乗員とドライバーがもめていた。賃金の上乗せを要求していた。添乗員は契約書を提示し断固拒否。さすがベテランの男性添乗員であった。 しかしイスラエル入国時にスーツケースを流すところでは時間が掛かり、催促するとお金を要求。この時、添乗員は握らせた。「臨機応変・郷に入っては郷に従え」である。イエス・キリスト生誕のベツレヘムへの途中、海抜ゼロポイントで写真タイム。山の上なのに海抜ゼロは、にわかには信じがたい。

ベツレヘムへ向かう途中世界最古の街と言われるエリコ観光。そしてベツレヘム「聖誕教会」はパレスチナ自治区にあり、教会地下にイエスが生まれたとされる洞窟がある。狭いので世界中の信者が来ており、ごった返しの中の観光であった。

 観光旅行も最終日となり三大宗教のエルサレムの観光である。旧市街の神殿の丘、イスラム教のムハンマドが昇天したという岩の上に立つ黄金色の丸屋根と八面体の大理石とトルコ石が印象的な「岩のドーム」。色鮮やかな建物を見ながらガイドの説明を聞いているとガードマンらしき男が近寄り説明は手短にと注意、横で説明を聞いていた妻が持っていた紙(地図)を取り上げ、見ていたがしばらくして返してくれた。ガイドに聞くとイスラム教以外の説明はしないように、イスラム教以外の文章やパンフはご法度とのこと。また出入口にはマシンガンを持った兵士がチェックしていた。しかし出口にいた可愛い女性兵士に「可愛いね。写真撮ってもいいですか」というとニッコリ笑い、リップクリームを塗ってポーズをとってくれた。若者は世界共通である。会報24 嘆きの壁

さて壁の反対側はユダヤ教にとって最も神聖な「嘆きの壁」である。テレビでよく見る光景である。我々も入口に置いてあるキッパという男子用の小さな帽子をかぶれば自由に入れる。早速かぶり壁に触り、世界平和を祈ってきた。妻はスカーフをかぶり祈ったとの事。もちろん男女別の場所である。近くの広場では小さな子供たちに説教をし、いい意味で洗脳していた。黒服、帽子、長く伸ばしたおさげ髪風の独特ないでたちのユダヤ教徒は、働くことはなく祈りの毎日との事。驚くことに信者年金があり暮して行けるらしい。

さていよいよ最後の目玉イエスの道「ビアドロローサ」である。イエス・キリスト終焉地、ゴルゴダの丘までの1kmの「悲しみの道」を歩くことになった。何度も見た「ベンハー」の場面を思いながら歩いた。ローマ帝国のエルサレム総督ピラトは、イエスを生かして追放処分を画策したが、住民の強い希望により磔付けで処刑をせざるを得なくなり、官邸の鞭打ち場所からイエスがつまずいた場所・シモンがイエスに代わり十字架を背負った場所・二度目につまずいた場所など14か所のチェックポイントを通り、イエスの墓所「聖墳墓教会」に到着。映画と違い通りは商店で賑やかであったが、約2000年前の階段を歩いたことは忘れられないだろう。「聖墳墓教会」でも世界からの信者は、棺らしき石棺に祈りキスをしていた。これまで訪れた教会では信者がミサを行い、聖歌を歌っていた。

 昼食は中東戦争の火種パレスチナである、イスラエルのヨルダン川西岸地区内のレストランで食べた。約700㎞の壁でイスラエルと区分けされ、門からの出入りは兵士による厳しい検問があり、その様子を撮影しようとしたツアー客は厳しく注意された。中はいたって平静に感じられた。しかしコロナ感染症のためパレスチナで日本人が暴行を受けたことを見ると、日本国内以外は怖い。

 最後にエルサレムの旧市街を一望できるオリーブ山、ダビンチの「最後の晩餐」で有名な部屋を観光。ガイドによるとイエスの時代、絵のようなテーブルで食事をすることはなかった。ダビンチの創作である。

 最後に現地ガイドは日本人のクリスチャンで宗教的案内が長く、いろいろ貴重な話が聞けて良い旅行であった。その中でカトリック教は「父と子と聖霊の御名によって、アーメン」と言い、プロテスタントは「イエス・キリストの御名のよって、アーメン」と言って十字を切る。違いは旧約聖書と新約聖書に由来する。貴重な中東の旅であった。

 最後に新型コロナ感染症を微妙なタイミングでクリアーして旅行できたことは、すべての神に感謝したい。

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