若林郁雄(14回生)
14回生「古稀の修学旅行」は盛岡駅に北は北海道江別市、南は京都市から26名が参集、5月29日(日)13時30分にスタートしました。中には50年振りの再会もあり、感激の新幹線盛岡駅南口待合室でした。東京から駆けつけてくれた自家用車8人乗1台とレンタカー5台で盛岡駅を予定通り出発、一路日本3大鍾乳洞の一つ「龍泉洞」を目指しました。中は厳しい階段もありましたが殆どの方が踏破、1日目の宿泊地、景勝地「北山崎」の近くの羅賀荘に到着。入浴後大宴会。札幌から来た林君の名司会でカラオケも大盛況、その勢いで幹事部屋に移動、25時過ぎまで二次会でした。
さて、翌30日朝食後、各車の乗り替えで色々の人が出会えるようにするのが、これまでのこの旅行会の特徴で今回もそれを目指しましたが、レンタカーの契約詳細を十分確認せず、更に各車の運転手を2名登録する予定が1名しか登録されていなかったため、運転手の交代が不可能になり、初日に登録した各車1人が最後まで運転せざる得なくなり、大変な負担をかけることになってしまいました。契約時運転手2名登録の指示が不徹底だったと反省しております。
当初予報が雨模様の二日目は、自称晴れ女3名のパワーで曇りから晴れ間になり、日本トップの景勝地と言われている「北山崎展望台」そして「浄土ヶ浜」を経て(ここ宮古市までの北部は海底が隆起した地形、ここ宮古市から南部は陸地が沈降したリアス式海岸)津波とその後の火災で全滅した「山田町」に入りました。とにかく、北山崎から海岸線は津波用大堤防の工事、市街地には僅かに被災された方々の仮設住宅が散在、あとは国道や県道の復旧工事現場。カーナビは殆ど機能せず、壊滅した山田町では一週間ごとに道が変わると話していました。「一番の壊滅した町で復興の昼食を」の提案に知人を頼っての地元料理の予約でした。「カキフライ定食」「天ぷら刺身定食」「刺身・焼魚定食」一律千円前日予約で満喫。「今夜の宴」のお土産に地元の大吟醸1升と生カキの燻製を戴き、一路世界遺産・橋野鉄鉱山を目指す、約1時間。各車、カーナビに振り回されながら8㎞先まで行って戻ってくる車や、手前で別の道に左折してしまった車、何とか全車集合は時間オーバーでした。
この後予定していた遠野市博物館の見学をあきらめ、この世界遺産の見学をじっくりすることにした。皆さんは、150年ほど昔に南部藩大島高任が開発した洋式高炉跡を、予約していた案内役のお父さん(同世代?)の解説を聞き質問を返し足元の遺物に触れながら散策していました。その後、約標高900m位の「笛吹峠」のヘアピンカーブを下り、やっと遠野に入りました。夕方の遠野は穏やかで、三方を山々に囲まれた盆地は田植えも終わり、長閑な田園風景は三陸海岸の姿を見てきた私たちの心をとても安らかにしてくれました。三陸海岸を通っている時には自覚できていませんでしたが、やはり深い傷を感じてしまいます。
遠野では「カッパの淵」に寄り夕方5時半に「民宿とおの」に入りました。全館貸し切り状態です。素晴らしい炉端の板の間の写真に引かれて予約してしまった訳ですが、何とか皆さんの我慢で乗り切れたようです。二次会も別の炉端の板の間で盛り上がりすぎたようです。3日目は、遠野「伝承園」で地元の歴史と風土に触れ、「道の駅・風の丘」では山菜などを購入し、最後の観光所・新花巻の「宮沢賢治記念館」へ。そして、定刻どおり新幹線「新花巻駅」到着。31日12:45解団・再会を約し、名残り惜しい中それぞれの帰路につきました。